「一年という時の長さ


BYみんとさま



「んじゃ、お疲れー!」
バイト先のファーストフード店。
その裏口で、オレはバイト仲間に声をかけると、リュックを肩にひっかけてドアを開けた。
戸外に出ると途端に、ねっとりとした重い空気が素肌に絡みついてきて閉口する。
ったく、あっちーなぁ……夏なんだから当たり前なんだけどよ。
それでも思わず文句を言いたくなる暑さだ。先ほど最近ではめずらしくなった夕立に洗われて、アスファルトは幾分その熱を収めたような感じはするが。

(今、6時半過ぎか…)
回った裏の駐輪場で、オレはチラリと腕時計を確認すると愛車のホーネットにまたがった。
軽く息を吐くと、体に染み付いた動作でセルスイッチを押してエンジンをかける。エンジン音の低い轟きが、振動となって心地よく体に響いた。そのまま試すようにアクセルを2、3度空ぶかして勢いよく発進。オレは渋滞気味の大通りに合流して、頬を切る風に身をまかせた。

今日は直江と外で会う約束がある。
早くあがる予定だったのに、夜シフトのバイトがなかなか来ないせいで、結局遅くなってしまった…。
一旦マンションに戻ってシャワーを浴びようと思っていたのに、これでは時間がない。かといって、このまま待ち合わせ場所の店に行ったのでは、中途半端に時間があまる。

どーすっかな…。
一瞬考えて、ふとあの場所に行こうと思い立った。
へこんだ時にいつも避難していた、坂の上の公園。
今はめったに行くこともないそこへ――向かうためにオレは、交差点でハンドルを右に切った。

空はすでにオレンジ色から紫色へと東から浸食されつつある。
住宅地の端にある小さな公園は、時間が遅いこともあってか人気もなかった。滑り台やブランコが、残光に長い影を引き、何かのオブジェのように存在感を主張している。
オレはそのまま直接乗り入れてしまった公園の、乾いた土の上でバイクから降りた。メットを取ると、今日を惜しむかのように鳴いている蝉の声がやけにハッキリと耳に聞こえた。

振り仰いで空を見上げる。
丘の東側に位置するここからは、夕日がよく見えるのだ。といってもこの季節特有の入道雲に覆われて、太陽そのものは見えていない。その代わりぽっかりと浮かんだたくさんの雲が、下から照らされる光にピンク色に染まっていた。誰もが息を飲む空の色。普段は日々に埋もれてしまって、気付く人も少ないのだろうが…。

(本当に久しぶりだな…)
崖の上に立って、そこを守る古ぼけた丸い鉄の手すりに手を掛け、暮れなずむ街を見下ろしてみる。
前はよくここに来ていた。故郷の松本を出て、この街に来て、独りで暮らしていた頃。

昔から、何か塞ぐ事があると、高いところに来て一人ぼうっと時間を潰すのが好きだった。開けた風景は、縮こまった心を広げてくれるから。むしゃくしゃしてヤケになりそうな自分を、いつもこの景色は癒してくれた。こんな悩みはちっぽけなものなんだと、もう一度前を向く力を与えてくれる秘密の場所。
でももうずいぶんここには来ていなかった。 ――来る必要もなかったから。

(一年なんて、過ぎちまえばあっとだな…)
オレが直江と同居を始めてから今日でちょうど一年。
記念になるからとあいつが主張して、ちょうど一年前のオレの誕生日(そう、今日は7月23日なのだ)、オレ達はこの街のマンションの同じ部屋に住み始めた。
それから、一年間。何事もなかったわけではない。思えばかなりケンカもしてきたと思う。400年も一緒に生きてきて、まだ諍い合うことがあるのかと、自分でもびっくりしたが…。それでも対等に生きていこうとすれば、当然そこには軋轢が生じるのだろう。

(でもココに逃げこみてーとまでは、思わねーんだよな…)
不思議と。殺したくなるほど直江にムカついて熱くなっても、せいぜい千秋や譲と飲んだくれたり、綾子ねーさんと夜の国道を突っ走ったり(もちろん飲み屋にハシゴもさせられた)。
そして直江が原因でない悩みについては、

(――悔しいけどあいつに癒されてんのかな…)
苦笑する。こんなことを思う自分に……。

眼下を、電車がガタゴトと行き過ぎていく。
遠くに望む細長い車体は、蛇が身をくねらせなるように蛇行しながら、ゆっくりと街の中に消えていった。
陽は完全に地平線の下に消え落ちたようで、涼しさを取り戻した風が崖下から吹き上げては耳元を掠めていく。

この時間――。ポツリポツリと、音もなく家々に灯りが点っていく、この黄昏時。
昔は嫌いだった。
数え切れないほど無数にある地上の星達のどこにも、自分の還る場所はないのだと、思い知っていたから。
それでも人恋しくて、いつも寒い目をしてじっと眺めていた。それぞれの帰るべき人を待つ――恋しい街の明かり。
でも今は違う。今はあの中にオレだけを待つ明かりも確かにあるのだから。それだけで、こんなに温かい気持ち
でこの景色を眺めることができる。
――オレが手に入れた、たったひとつの輝く星の明かり。

(…高耶さん)
突然…、直江の声が聞こえたような気がして、オレは我に返って顔をあげた。
やさしく抱きすくめられるように、一陣の風がふわりと巻き上げてオレを包む。
空耳?……ではない。これは思念波だ。
オレだけが嗅ぎ分けることのできる、男の低い囁き…。

直後に携帯が鳴り出して、あせってポケットから引っ張り出す。通話ボタンを押して電話機を耳に押し当てた。
かけてきた相手は、もちろん…
「なんだよ、直江…」
わざとぶっきらぼうに電話に出てやった。

こいつは機械だけに頼るのが嫌らしくって、携帯を掛ける前に絶対に思念波をオレに飛ばしてきやがる。恥ずかしいから止めろっつってんのに…。
内容は…『どうしても打ち合わせから抜けられなくて、1時間近く遅れる』というあまりうれしくない話だった。まあ仕事じゃ仕方がない…。ちょうど部屋にも一度帰れるしな。思いながらも、ざけんなよ…とタンカを切って、終了ボタンで通話を切る。

(1時間か。早く行動しねーとな)
ふぅ…と心を落ち着けるために細く息を吐き出した。
オレが焚きつけたから、きっとあいつは何が何でも仕事を早く切り上げてくるだろう。
普段落ち着きはらった背広姿の男が、焦りまくる様を想像して思わずオレはくすくす笑ってしまった。そして今や完全に闇に落ちた人口の光に輝く街に、背を向けて一歩前へ踏み出す。
目を閉じて感じる、己の中に息づく星明かりのぬくもりを感じながら。
さっきまで見下ろしていた、あの明かりの一つになるために。
――あいつの傍に、行くために……。



***


――たかやさん、――高耶さん…
「高耶さん…」
揺さぶる手の動きと、耳元で発し続けられる声に、オレは心地よいまどろみから無理矢理まぶたを上げて、目前の男の影に焦点を合わせた。
「高耶さん、風邪を引きますから…。ベッドに行きましょう…」

間近で微笑んでいる色素の薄いやさしい瞳。吐息が近づいてきて、触れ合うだけのキスを盗んでいく。風呂に入ったらしい直江からは、いつもの石鹸のにおいがして気持ちがいい。
「ん…?」
寝転んでいる背中に感じる、やけに冷たくて固い床の感触に、オレは完全に眠りから覚めた。

(……そっか)
あれから、40分遅れで来やがった直江と合流して、豪華な夕飯食いに行って。部屋に帰ってきてワイン一本開けて。いらねーっつってんのに、高価そうな誕生日プレゼントとやらをもらい。
一年前の今日を覚えてますか?とかなんとかいいながら、リビングのフローリングの床に押し倒されて(引越し当日は、業者の手違いのために家具が何もなかったのだ)。

……そして今に至っている。
酔ってた勢いもあって、なんか乱れまくってた気がする。久しぶりに意識を飛ばしてしまった。身体も床もすでに清められて、その痕跡はまったくないが。
いや、あるか。オレの肌に散りばめられた赤い跡と、腰に残る甘いだるさが。

「直江、今何時だ?」
ゆっくりと直江に抱えあげられながら上半身を起こす。まだぼんやりとする目を、手でこすってこじ開けた。
「あと3分で12時ですよ…。また新しいあなたの一年が、始まりますね…」
壁に掛けてある、シンプルな文字盤の時計を見上げてみた。確かに長短両方の針が上を向いてくっつきそうになっている。

「高耶さん…最後にもう一度、お誕生日おめでとう…と言わせてください」
「またかよ。昨日の12時過ぎから、ずっと言ってんじゃねーかよ」
「いいじゃないですか。一年に一度しか言えないんですから…」

そりゃそうだが…。何か言おうと思って開きかけた口を、今度は深い口づけで塞がれた。
歯列をなぞられ、舌を絡めてやわらかく吸われ、身体の奥でくすぶる熾火に、また燻る火を点けられる。
「ん…やめろ…って、…んぁッ!」
抵抗しようにも、素っ裸のオレには伸びてきた男の愛撫を防ぐ手立てはない。寝ている時にかけられていた毛布も、今は剥ぎ取られて部屋の隅に追いやられている。

「高耶さん、もう一度ここでしますか?…それともベッドへ…」
「……っ!」
胸をまさぐる直江の指の動きに翻弄されて、答えたくてもオレは言葉が紡げない。切れ切れにどうにか、ベッドへ行きたいと細い声で伝えた。

まだ残る酔いにふらつく足を直江に支えられて、リビングから寝室へ移動するために立ち上がる。
途中目にした壁の時計は、針が右に傾いて、すでに翌日を迎えたことを語っていた。
(またこれから一年…)
そして、3年、5年、10年と…。
未来はどうなるのか――今はまったくわからない。
それでも、それを生き抜いていくのは、結局はこの自分なのだ。しっかり足を踏みしめて、腕をまっすぐに伸ばしていきたい。

オレはふいに、廊下の真ん中で歩みを止めた。
「…直江」
――愛してる…
想いが胸を衝いて口から溢れた。心から思う、正直に。オレはおまえを離さない。だから、おまえも離さないでほしい。絶対に……。
「高耶さん…」
背中にまわされた確かな腕が、ぎゅっと痛いくらいにきつく、オレを抱きしめてきた。耳に寄せられた口唇が、熱い吐息と共に、誓いの言葉をオレの中に落とす。
「俺も…愛していますよ…。あなただけを…」
未来永劫…と、擦れた声が告げて、オレは何が何だかわからない震えに襲われて、瞬く間に視界が見えなくなった。頬を伝っていく一筋の滴の感覚に、自分が泣いているのだと悟る。先ほどよりもさらに激しくキスされて、オレは全ての感覚を目の前の男に預けて、眼を閉じた。

今年一年がまた、おだやかに過ぎていきますように…


END



†椎名コメント†
いつもものすご〜くお世話になっている、みんと様からの素晴しい頂き物です♪滅茶苦茶多忙な中、書きあげて下さいました。

いつも本当にありがとう!!
いや〜、いいですね〜♪
原作の二人にも、こんな幸せなお誕生日を過ごしてほしいです(><)

みんと様、素晴らしい作品をどうもありがとうございました!
これからもよろしくね♪