untitled(死神編) 前編






二年後。
中学卒業と同時に施設を出た高耶は、いまは一人で部屋を借り、アルバイトをしながら高校に通っていた。

中学生になったばかりの妹を、一人置いて先に施設を出ることは、高耶としても忍びなかったが、国の法律で決められている以上、どうしようもなかったのだ。




週末の繁華街は、学生や仕事を終えたサラリーマンで、それなりに賑わっている。

書店に足を踏み入れ、目当ての新刊コミックスを手にし、人気のない棚へさりげなく移動した高耶は、慣れた手付きでコミックスを素早く鞄に仕舞い込み、何事もなかったように店を出た。
そのまま、何処にいくでもなく、寂れた繁華街をぶらつく。
すると、ふと背後に、ひとの気配を感じた。


さりげなく背後をうかがうと、黒いスーツ姿の長身の男が、つかず離れずの距離で後をつけてきている。
それを見るなり、高耶は舌打ちをした。
あの男だった。
この数日、気がつくと後をつけてきている、得体の知れない男。

いつから、つけられていたのかわからない。もしかしたら、万引きの瞬間も見られていたかもしれない。


話しかけてくるわけでも、危害を加えてくるわけでもないが、こんなふうに四六時中、ストーカーまがいに後をつけられてはたまったものではない。


途中、幾度か、まいてしまおうと試みたものの、相手の尾行は執拗だった。


あまり言いたくはないが、高耶は、時々、男に誘われることがある。
無論、高耶にその気はないので、考えただけでもゾッとするが、もしかするとこの男も、その手の変態ヤローの一人かもしれない。




いい加減、腹が立った高耶は、振り返るなり、驚いて歩みを止めた男につかつかと歩み寄ると、スーツの胸倉を掴んで噛み付いた。
「―――てめえ。ふざけるのもいい加減にしろよ」

すると黒服の男は、心底、動転したような表情を見せた。
「えっ……」
「えっ、じゃねえよ。ひとが黙ってりゃ、何日も何日も、いい気になって付けまわしやがって。オレが気づいてないとでも思ってたのかよ。文句あんなら言えよ、この変態ヤロー!」

「いっ、いえ。私は決して、そういうつもりでは……」

尾行するにしても、もう少しやりようがあるのではと、当の高耶が思ってしまうほど、もう何日も、あからさまに後をつけているくせに、指摘された途端、これほど動揺してみせるとは、いったいこの男はなんなのか。

だが、そうして面と向かって男の顔を見ているうちに、ふと、その容貌に、見覚えがあるような気がして、高耶はいぶかしむように、
「……あんた、前にどっかで会ったことが……?」


買い物袋を下げた、通りすがりの主婦が数人、怪訝な様子で立ち止まって高耶を見ている。
(……まずいな)

男は眉を顰めた。
通常、男の姿はひとの眼には見えない為、彼女達には、高校生の少年が、道の真ん中で一人で喋っているようにしか見えないのだ。


男は、いぶかる高耶に、真摯に頭を下げ、
「私の名前は直江と言います。そんなつもりはなかったのですが、あなたに、不快な思いをさせてしまったようで、本当にすみませんでした。また、日を改めて……」

すばやくその場を去りかけて、思い立ったように足を止めた男は、やんわりと釘を刺した。

「高耶さん……万引きは罪ですよ?」
「……!」
やっぱり見られていた………たちまち、顔を赤くして立ち尽した高耶だが、すぐに立ち去ろうとする男の後を追う。
「―――おい、待てよ!あんた、どうしてオレの名前を知ってるんだよ」

だが、男の背を追いかけ、路地を曲がった直後、高耶は不意にその姿を見失ってしまった。
ほんの一瞬前まで、確かにそこにいたはずなのに。


消えた―――?マジかよ。

誰もいない路地で、高耶はぼうぜんと立ち尽くす。
(嘘だろ……?)


***


その数日後、顔見知りの不良仲間からシンナーを手に入れた高耶が、それを吸う場所を求めて人気のない場所を物色していると、間近で唐突にあの男の声がした。


「駄目ですよ。高耶さん」
「―――!」
不意打ちのように声をかけられ、面食らった高耶が声のする方を振り向くと、先日、直江と名乗った黒服の男が、いつのまにか背後に立っていて、こわい顔でこちらを見ている。


(こいつ!いったい、どこから……)
男は、あっけに取られて立ち尽くしている高耶の服のポケットから、やすやすとシンナーの小瓶を取り上げた。

「あっ、こら、何すんだよ!」
一本、二千円も払って手に入れたものを、あっさり取りあげられてはたまらない。
「返せよ」
「いやです」

男は、ひどくかなしそうな表情で、
「いつからこんなものを吸っているんですか。体を壊してしまいますよ」
「あんたに関係ないだろ」

噛みつく高耶に、男は溜息をついて、
「関係なくはありませんよ。あの日、幼いあなたに、なぜ私の姿が見えたのか―――それも不思議なのですが、なぜ、いまになって、あなたに再び、私の姿が見えるようになったのか。その理由を、ずっと考えていたのですけれどね」


男は、真剣に思案している表情で、わけのわからないことを言った。
そして、改めて高耶から取り上げたシンナーの瓶を指し、
「きっと、こんなものに手を出して、少しづつ体が弱ってきているから、私が見えるようになってしまったんです。本当は、私の姿は、見てはいけないものなのに……」

「はあ?」
さっきから、大人しく聞いていれば、いったいこの男は、何を言っているのだろう。

「てめえ、オレがガキだと思って、ひとをからかうのもいい加減にしろ」
「からかってなどいませんよ。どう言っても信じていただけるとは思っていませんが、私は人間ではありません。死神です」


大真面目に言ってのけた男に、高耶は一瞬、絶句し、あきれたように男を見た。
おかしな奴だとは思っていたが―――よりによって死神とは。


高耶の、あきらかに軽蔑しきった視線にも動じず、男は尚も続ける。

「信じられないのはわかります。私があなたの立場なら、きっと同じでしょうからね………でも、どうにかして信じていただくしかないのですが……私は、本当に死神なんですよ。生きたくても、生きられない魂を、私は何度も送ってきた。高耶さん……あなたには、大切な妹さんがいるのでしょう?彼女のためにも、こんなもので、体を壊してはいけない」

思いがけなく妹のことを話題に出され、高耶の目つきが変わった。

「―――てめえ。どうして美弥のことまで知ってんだよ」
ずい、と身をのりだし、きつい眼で覗き込む高耶を前に、以前から、端正な顔立ちをしているとは思っていたが、これほどまでに、間近で彼の顔を見たのははじめてだったので、男は、内心、どぎまぎした。


高耶は、男の襟首を掴んで、凄む。
綺麗な眼だ―――と男は思う。

「てめえが死神だろうが、ドコの誰でも関係ねーけどな。これ以上、オレにつきまとったら承知しねえぞ。それから、これだけは覚えておけ。美弥に何かしやがったら、オレはお前を許さない」

言いきって、もう用はないとばかりに、背を向けて歩き始めた高耶に、男はしばらくの間、ほうけたように立ち尽くしていたが、やがて、自分が彼にすっかり見惚れてしまっていたことに気づくと、苦笑いするしかなかった。



元々、高耶が荒れたり、悪い仲間とつきあうようになった原因は、彼の妹が不幸な生い立ちを理由に、理不尽ないじめにあったことだった。

妹思いの高耶は、その事実を知るや否や、その相手を殴ってしまったのだが、それがたまたま、実力者の子供だったことから、高耶は一方的に責任を取らされる形になってしまった。


施設の教諭や、彼を知る人間は、彼のことを理解していたが、彼の父親が母親を殺し、服役している事実までが明らかにされると、ますます兄妹を見る周囲の眼は厳しくなっていった。

妹を守る為にも、強くならなければならない。
だが、殺人者の子供のくせに。
そう言う眼でしか、高耶を見ない人間もいる。


そんな環境の中で、多感な年齢の彼が、少しづつ荒れはじめた時も、男は側で見ていることしかできなかった。

(―――高耶さん……)
物思いに囚われていた男の眼が、ふと厳しくなった。
小さくなりかけた高耶の背が、どこからともなく現れた数人の男達に取り囲まれている。
(―――!)
次の瞬間、男は、我を忘れて、高耶の前に、姿を現していた。






まったく、何が死神だ、なめやがって。
怒り心頭に達しつつ、男を残して歩き去った高耶の周囲に、不意にどこからともなく数人の男達が現れて周囲を取り囲んだ。
その中の、かつて見知った顔が、親しげに声をかけてくる。
「よお。仰木、久しぶりだな」
「……三井……」


三井は高耶より二歳年上で、かつての不良仲間のリーダーだった。
以前、高耶が麻薬密売容疑をかけられたのも、この男のせいだ。

高耶の免罪が晴れると同時に逮捕され、その後、少年刑務所に送られたと噂に聞いたが、いつのまにか、出所していたらしい。

派手な身なりと、引き連れている連中を見れば、三井がいまだ、更正どころか、ヤクザに籍を置いているらしいことは、一目でわかった。


「……仰木。お前、いま高校行ってるんだってな。オベンキョウは楽しいか?そんないい子ぶるタマでもないだろうに」
「―――うるせえよ。お前に関係ないだろ」

憮然と答える高耶に、
「そう邪険にすんなよ。仲間だろ?……なあ、仰木。お前、金欲しくねえか?まとまった金が入る、いい話があるんだよ」
馴れ馴れしく、高耶の肩に三井が手を回しかけた時だった。


「そのひとに触るんじゃない」
鋭い声とともに、突然、長身の黒衣を纏った男が姿を現し、高耶を全身で庇うように立ち憚ったので、その場にい合わせた男達は、たちまち騒然となった。
「うわっ、こいつ、いったいどこから……!」
突然、目の前に現れた男に、さすがの高耶も驚きを隠せず、三井は驚愕のあまり、その場に凍り付いている。

「……お前……っ」
男は、心配いりませんよ、とばかりに、高耶に微笑みかける。
混乱の中、パニックに陥った一人が、腹に挿していた拳銃を取り出し、高耶と、彼を背に庇った男に向けて構えたので、我に返った三井が怒鳴った。

「馬鹿ヤロウ!撃つんじゃねえ!」
だが、間に合わなかった。
万一にも高耶に流れ弾が当たらないよう、男が高耶を脇道に突き飛ばした直後、パン、という渇いた轟音とともに、銃口が火を吹いた。



「―――直江!」
道端に倒れ込みながらも、振り向きざまに高耶が叫んだ。
いくらなんでも、これほどの至近距離で胸を撃たれては、ひとたまりもない。

だが―――心臓を撃ち抜かれたはずなのに、男は何事もなかったように、平然とその場に立っていた。
それどころか、尚も拳銃を構える男に向かってつかつかと歩みよりながら、素早く片方の手袋を外し、有無をいわせず、男の頬に手を伸ばす。


「―――!」
直江に素手で触れられた途端、拳銃を構えた男は、白眼を剥き、泡を吹いてその場に倒れた。


「うっ……うわっ……なんなんだよ、こいつ……!」
思ってもみない展開に、怯えて逃げ出そうとした他の男達も、直江に素手で触れられた途端、同じようにバタバタと倒れ込んだ。三井も同じだった。

アスファルトに無様に転がった男達の表情は皆、白目を剥き、顔面蒼白で、ピクリとも動かない。





「……大丈夫ですか?怪我はありませんか」
再びきつく手袋をしながら、男が心配そうに、座り込む高耶を覗き込む。

高耶は、茫然と男を見上げ、
「お前……いま、何したんだよ……っ。こいつら、動かねえぞ?……死んだのか?」
「いいえ。気を失っているだけです。……それと、寿命が一年縮んだだけで」

男はこともなげに、
「本当は、私達は人間に素手で触れてはいけない規則なんですが、いまは緊急事態だったので仕方ありません。素手で触れさえしなければ、大丈夫ですから。さあ」

高耶は、おそるおそる、こちらに向かって伸ばされた男の手を取った。

力強い腕が、高耶を抱き起こす。
男のスーツの胸には、確かに高耶を庇って撃たれた痕が残っていた。
高耶がおずおずと、
「おまえ……体……なんともないのか……?」
「心配してくださるんですか?嬉しいですね」


男はにっこりと微笑み、まるで他人事のように、自分の胸の傷の様子を伺った。
スーツとシャツが焼け焦げ、裂けた生地の合間から、ちょうど心臓の上あたりに銃痕がくっきりと残っている。

男は、苦笑して、
「まあ、多少は見栄えが悪くなったかもしれませんが、この通り、なんでもありませんから」
(まさか、本当に―――?)

高耶は念を押した。
「お前……本当に、死神なのか……?」
「ええ。そうですよ。最初からそう言っているでしょう?」


黙ってしまった高耶に、男が悪戯そうに、「こわいですか?」と訪ねると、高耶は精一杯強がった、挑戦的な眼で男を見つめ、ニッと笑った。
「……誰がこわいなんて言ったよ。……面白いじゃん」

(まったく、このひとは)
男は苦笑する。
その時、銃声を聞きつけ、誰かが通報したらしく、サイレンの音が近づいてきた。

男は肩を竦めて、
「おやおや、お客さんが来てしまいましたね……とりあえず、ここにいては、あなたも都合が悪いでしょうから、場所を変えませんか?何でも、好きなものをご馳走しますよ」


***


その十分後。

高耶はとある高級レストランで、男と向き合っていた。
いまは、男は自らの意思で姿を現しているので、周囲の人間にもその姿が見えている。

店員がオーダーを取りに来ても、なかなか注文しようとせず、こちらの様子を伺っている高耶に、男は苦笑しながら、
「どうしました?何でも、好きなものを頼んでください。高耶さんは確か、肉より魚の方がお好きでしたね?」

「なんでてめーが、ンなことまで知ってんだよ」
ますます、怪訝そうに高耶が言う。

それは、地上に降り立つ度、高耶の側で、ずっと彼を見て来たからなのだが、さすがにいつも隣で見てました、とは言えずに、男は口ごもった。

とりあえず高耶の好みそうな、魚がメインのコースを二つ頼んで、店員を追い払う。



「すみません、高耶さん。煙草を吸ってもいいでしょうか」
「勝手にすれば」
素っ気無い答えに苦笑しながら、男は、スーツの胸ポケットから煙草を取り出し、流れるような優雅な仕草で火をつけた。

随分マズイ煙草吸ってるんだなと揶揄しつつも、高耶が、「一本くれよ」と言うと、「あなたは未成年だから駄目ですよ」と言う、素っ気無い答えが返って来る。

チッと舌打ちしながら、高耶は、まだしばらくの間、疑うような眼で紫煙を吐き出す男を見ていたが、やがて、溜息をつくと、観念したように口を開いた。



「―――直江って言ったよな」
「名前を覚えて下さって嬉しいですよ、高耶さん」
男があまりに嬉しそうに微笑むので、高耶は面食らう。

(なに何赤くなってんだよ、オレは)
この男を前にすると、どうにも調子が狂う。

「おまえさ―――本当の本当に、死神なんだよな?」
「ええ、一応」
「だったらさ。もっとこー、髑髏の顔して鎌持ってたりしないわけ?」
「その方がお好みなら、今すぐ、そう言う格好になってさしあげても構いませんが」

穏やかな口調で、男が怖いことを言い、一瞬、ぎょっとした高耶が男を見ると、鳶色の眼が笑っていて、からかわれたのだと悟った高耶は、フイとそっぽを向いた。


だいたい、黒衣は黒衣でも、こんな高級ブランドの黒服で、おまけに敬語で、いかにも女たらし風の死神なんているかよ。ブツブツ言っている高耶に、男が苦笑する。

「高耶さん?」
「つーか死神のくせに、シンナー吸うなだの、煙草は駄目だの、おかしいじゃねえかよ」
「それはそうかもしれませんが」

噛みつく高耶に、
「ほかの人間なら、別に止めはしませんよ。でも、さっきも言いましたけれど、あなたには、妹さんがいるでしょう?妹さんの為にも、命を粗末にするようなことは……」
すると高耶は、今度は声を上げてせせら笑った。

「命を粗末にするなって、お前、ひとの命を奪うのが仕事なんだろ?」
「死神が、ひとの命を奪うわけではないのですよ」

男は困ったように、
「ひとは母親の体内で受精した瞬間から、どれだけ生きるか、定められているのです。そして、死に際、肉体を離れた魂が永遠にこの世界でさまよったりしないよう、行くべきところに導くのが私達の仕事です」

すると、高耶は微笑して、
「ふーん。だったら、オレはもうすぐ死ぬんだな。だから、こうしてお前がオレの目の前に現れたんだろ」
たいしてショックを受けた様子も見せず、さらりとした口調で高耶は言った。

「いいえ。あなたには、まだ当分、その予定はないと思いますよ」
「じゃあ、なんでお前はオレにつきまとってるんだよ」
「―――あなたが心配だからです」
男は大真面目に言った。
「心配?なんでだよ」

それを言われると男自身、言葉に詰まってしまう。
本来、感情を持たないはずの自分が、どうしてこれほどまでに、高耶というこの少年が気になるのか、わからないのだ。


「人間は死んだらどうなるんだ?」
「……そうですね。天国や地獄といった、ひとが想像するような世界はありません。肉体を離れた魂は浄化され、記憶を消されて、新たな肉体を得て転生します。ごく稀に、前世の記憶を持ったまま、転生する魂もあるようですが」

「………じゃあ……」
言いかけて、高耶は口を噤んだ。
(母さんも、すでにどこかで生まれ変わって、新たな生を送っているのだろうか)


黙り込む高耶を見て、不安に狩られた男が名前を呼ぶ。
「高耶さん……どうかしましたか?」
「……別に」



まもなく料理が運ばれてきて、テーブルには、スープやサラダや、焼きあがった舌平目のいいにおいが漂った。

これまで、お目にかかったことのない、超がつくほどの高級料理の品々に、萎縮してしまったのか、最初は、なかなか口をつけようとしなかった高耶も、男が冷めないうちに、と促すのと、さすがに空腹には勝てなかったのか、美味そうに食べ出した。

男は、高耶が食べる様子を微笑みながら見ているが、自身はまったく料理に手をつけようとしない。

「……どうしたんだよ。食わないのか?」
不思議そうに問いかける高耶に、男は困ったように笑って、
「……実は、味覚がないんです。食べられなくはないのですが。もし、よろしければ私の分も食べて下さってかまいませんよ」
「マジかよ」
高耶は眼を丸くした。

まあ、撃たれてもピンピンしているぐらいだから、食べないぐらい何ともないのかもしれないが、こんなに美味いものの味がわからないとは……案外、こいつは気の毒な奴なのかもしれない。


豪勢な食事を二人分たいらげ、すっかり満足して店を出る頃には、いつしか高耶は、男に対して、心を開くようになっていた。

さすがに会計の時は、高耶は内心、こいつ金持ってるのかなどと、いらぬ心配をしたのだが、驚いたことに男は、多額の現金と、アメックスのブラックカードまで所持していた。



「おまえ!死神のくせに、なんでそんなに金持ってんだよ!」
すると、男はこともなげに、
「地上で姿を現して活動する時は、お金を持っていないと、あやしまれますから」

だが、安い時給で働きながら、バイトと高校を両立している高耶としては、どうにも納得がいかない。

男は苦笑しながら、手袋をした手で、宥めるように高耶の背を叩き、
「いいじゃないですか。細かいことは気にしないで下さい。あなたさえよろしければ、いつでも好きなものを好きなだけ、ご馳走してさしあげますから」




―――その時だった。
不意に、誰かに見られているような強い視線を感じて、男と高耶は、ほぼ同時に、視線のする方向を振り向いた。


おそらく二十二、三歳。
通りを挟んだ向かい側に、長髪を後ろでひとつに結び、メガネをかけた長身の男が立っている。
その顔に、男は当然、見覚えがあった。


「―――誰だ?知り合いか?」
問いかける高耶に、男は、曖昧に頷いて、
「高耶さん、すみませんが、急用ができてしまいました。今日のところはこれで」

気をつけて帰って下さい。
そう、言い置いて、男はメガネをかけた男の方に歩いていく。
「おい、ちょっと待てよ!」
次の瞬間、男と、メガネの男は、その場からかき消すように消えてしまった。



「―――!」
正直なところ、直江が死神だと言うのは、いまだに半信半疑の高耶だが、こう何度も、男が突然現れたり、消えたりする現実を見せつけられれば、とりあえず普通の人間ではなことだけは、嫌でも信じないわけにはいかない。

一緒に姿が消えたと言うことは、あのメガネの男も、直江の同類と言うことか。

「はあ……いったい、何がどうなってんだよ」
そう言いながらも、高耶は自分が、どうやら、直江という男を不思議と嫌ってはいないことに苦笑いせずにはいられなかった。
高耶は肩を竦め、溜息をついて、自宅のある方向へ歩きはじめた。


***


「―――あいつ。いったい何もんだ?お前だけでなく、俺の姿も見えてたようだが」
開口一番、メガネをかけた長身の男―――長秀は男に向かってそう言った。


彼は、四百年前、男と同時期に死神となった男だ。

同期の死神には、もう一人、晴家と言う女の死神もいるのだが、顔見知りの死神同士がこうして、地上で顔を合わせることは、大規模な事件や事故がない限りは、滅多にないことだった。

長秀は、面白そうに直江を見つめ、
「人間と仲良く飯食うなんて、お前、頭大丈夫かよ」
「大きなお世話だ。………それより、お前こそ、こんなところで何をしている」

男がそう言うと、長秀は苦笑して言った。
「何してるは、ないだろ。仕事だから来たんじゃねえか」
その言葉を聞くなり、男の顔色が見る間に青ざめた。死神の仕事と言えば、ひとつしかない。

「まさか……そんな……っ、」
男の唇がわなわなと震えている。


「あのひとなのか……?」
直江が、ようやく絞り出したその言葉に、長秀は鷹揚に頷いた。

無論、長秀が高耶の命を奪いにきたわけではないことはわかっている。。
死神は、彼等以外にも大勢いて、まもなく寿命を迎えることになった高耶の魂を導く死神が、今回、たまたま長秀だっただけの話だ。


だが、思ってもみなかった高耶の死を付きつけられ、取り乱す男を見て、長秀は眼を丸くした。
「おいおい。お前、どうしちまったんだよ。まさか、人間の、あのぼうやに惚れたなんて言わないよな?」
「………」
男は答えない。

(―――図星かよ!)
死神が人間に惚れたなんて、そんな冗談、聞いたことがない。
だいたい、死神は人間には、素手で触れることすらできないし、ましてやキスでもしようものなら、口づけられた人間はたちまち死んでしまうというのに。


長秀は、あまりのショックに口も聞けなくなっている男を見かねたのか、宥めるような苦笑いを浮かべ、
「……いいこと教えてやるよ。通常、人間の寿命は生まれた時から決まっていて、例え、俺達が助けようとしたところで、どうにもできないのは、当然、お前も知ってるよな」

「……それがどうした」
「まあ、いいから聞けって。それが、どういうわけか、あいつの生死だけは、いまだに不確定なんだよ」

思ってもいなかった以外な言葉に、男は顔を上げて、
「……どういうことだ?」
「つまり、これから一週間の間に、あいつは生死に関わる事件かなんかに遭うんだろう。………だが、それによって、あいつが死ぬとは限らないってこと」

「それは……本当なのか?」
「ああ。四百年、死神やってっけどな。こんなことははじめてだ。あいつには、どういうわけか俺達の姿が見えるようだし、もしかしたら、普通の人間とは違う、何か特別な力を持ってるのかもしれない」


「……頼む。長秀。あのひとを助けたい」
男の表情は、驚くほど真剣だった。

ひとはいつか必ず死に、魂は浄化され、再びこの世に生まれ変わる。
それはわかっているが、男は、いま、生きている、あの仰木高耶という魂にひかれてしまったのだ。
あのひとを―――あの魂を失いたくない。

長秀は、男を見据え、
「……死神が、故意に特定の人間の運命を変えることは許されない。もし、そんなことをすれば、お前、どんな罰を受けるかもわからないんだぞ?」

「―――わかっている」

思い詰めた表情で、男は言った。
人間の世界では、恋は盲目などと言うらしいが、どうやらこれは重症のようだ。

(しょうがねえな……)
長秀は溜息をつき、
「……お前が、そこまで覚悟ができてるなら、もう何も言わねえよ。できる限り、あいつの側についててやれ。あいつから、眼を離すなよ。もし、あいつの未来について、何かわかったら、すぐに教えてやるから」



人間を愛してしまった直江も死神としては、かなりの規格外だが、それにつきあい、こんなことを言っている自分も相当、変わり者には違いない。

だが、もしかしたら、人間と死神のはじめての恋が成就するかもしれない。
それはそれで、面白そうではないか。

(まあ、できれば、とばっちりで罰は受けたくねえけどな……)

長秀は肩を竦めると、ひらひらと手を振った。
「じゃあまたな。お前らの仲が、うまくいくよう、せいぜい祈ってやるよ」




To Be Continued.