日溜まりの詩 mira vervion





目覚めた時、オレは全身をチューブに繋がれ、呼吸器をつけられて、生暖かい透明な液体の注がれた水槽のなかに漂っていた。

コンコンと、水槽を叩く音がする。

音のする方に頭を巡らせ、水のなかで何度かまばたきをして―――強化ガラスの向こうに、こちらに向かって穏やかに笑いかけている男の姿を認めた時、オレはようやく理解した。

男が、ついに、オレの肉体を、完成させたのだと。


まもなくオレは、男の手で、ガラスの水槽から引き上げられた。
複雑な計器類に繋がれたチューブを引き摺ったままの体は、腕にも脚にも、まるで力が入らない。

「……え」
呼吸器を外され、声に出して男の名を呼んだつもりが、声にならない。
男は、自身もずぶ濡れになりながら、一人ではまったく動けないオレを抱き起こしてローブで覆い、そっと抱きしめた。

「……誕生おめでとう」
そして、声にならない声で告げた。

―――おかえりなさい、と。



男は、オレを治療用の寝台に横たえると、異常がないか、改めてチェックしはじめた。

腕や脚、性器に挿し込まれているチューブが、なんともいえず不快で、まだうまく声が出せないオレは、男を見上げ、早く抜いてくれるよう、眼で訴える。

男は、オレの云いたいことがわかったのか、宥めるように笑った。
「そこが気持ち悪いんですね……でも、検査が終わるまで、あと少しだけ我慢して下さい」

諭すように云われて、オレは仕方なく頷く。
無数の機器の間を、忙しなく行き来する男の姿を、眼の端で追ううちに、再びオレは、うとうとしはじめた。

眠りに落ちる間際、オレを覗き込む男の顔が、とても幸せそうに見えた。


***


次に目覚めた時には、別の部屋に移されていて、席を外しているのか、男の姿は見えなかった。
シャツを着せられ、ベッドに寝かされているオレの体からは、あの不快なチューブも、すべて抜かれている。

オレは改めて、ゆっくりと室内を見回した。頭を巡らせて、すっきりと片付けられた白い部屋の片隅に目的のものを見つけると、そっと上体を起こす。

まだ、肉体を持ったという現実感に乏しく、ゆらゆらと水のなかを漂っている感覚が抜けきっていなかったが、動けないほどではない。

ベッドの枠に手をかけ、片方づつ脚を下ろし、自力で立てるかどうか試してみる―――膝が笑い、ガクガクと震えたが、それでも、どうにか立つことができた。

次に、壁を伝うようにして、部屋の隅に置かれている姿見の前に向かう。

意識を持ったその瞬間から、オレはずっと、彼に会いたいと思っていた。

黒髪に黒い瞳の、二十歳前後の端正な顔立ちの青年が、不思議そうな表情でこちらを見ている。手を上げて、頬や唇に指先で触れると、鏡のなかの青年は、オレとまったく同じ動作をした。

オレは、もう一度、まじまじと鏡を覗き込んだ。
では、これが、彼なのだ。
男が、生涯でただ一人愛したという―――



「―――高耶さん!」
男は、『彼』の名でオレを呼んだ。ひいていた食事のカートを投げ出して、鏡の前に立ち尽くしているオレを見るなり、駆け寄ってくる。

「起きて大丈夫なんですか」
問いかける男の顔色が青ざめている。その眼が、ひどく心配そうに見えたので、オレは笑顔をつくった。

「……ああ。……ちょっと、ふらふらするけど……なんともない」

自然と、言葉が口をついて出る。そうして、はじめて喋ってみて、彼はこんな声で、こんな喋り方をしていたのだなと、改めて思った。

「駄目ですよ……まだ、無理はしないで」
もう大丈夫だといいはるオレを、半ば強引にベッドに戻すと、男は戸口に放置されていたカートを引き寄せ、自分もベッドに腰を下ろした。

「スープをこしらえました。あなたにとっては、生まれてはじめての食事ですね。口にあうといいのですが」

子供のように、一匙づつ食べさせられそうな勢いだったので、オレが不貞腐れたように「自分で食える」と云うと、男は嬉しそうに微笑んだ。

意識してやっているわけではないのだが、オレはおそらく、彼がするのと同じ反応をしているに違いない。
オレの遺伝子は、そういう風に、プログラムされているのだから。

いいにおいを立てている皿を受け取って、スプーンで唇に運び、慎重に嚥下する。
暖かなスープが喉を通っていく感覚は、案外、悪いものではなかった。食後に出されたコーヒーだけは、ミルクと砂糖を入れなければ苦いだけで、飲める代物ではなかったが。



翌朝には、もう普通に起きて歩けるまでになった。

オレは好奇心の塊の子供のように、まだ無理はいけないと渋る男にせがんで、家の周囲や、地下深く設置されている自家用の発電施設や、かつてはシェルターとして使われていたという、自分が生まれたラボを探検して回った。

広い庭には、井戸と隣接して、ビニールとガラスで区切られたコンピュータ制御の菜園があり、その先は、見渡す限り、深い森に覆われている。

森には、視界を奪うほどの真っ白い霧が立ち込めていて、外の世界がどうなっているのか、見当もつかなかった。

「―――直江。森の向こうには、何があるんだ?オレとお前以外に、誰か住んでいるのか?」

すると、男は微笑みながらも首を振って、
「……いいえ。ひとは……とうの昔に死に絶えました。だから、生きているのは、あなたと私だけです」
「……それじゃ、おまえは……」

―――今まで、どれだけの時間、ひとりきりだったんだ?

云いかけて、それを聞くのは酷な気がしたので、オレは言葉を切った。

「高耶さん……」
抱きしめてくる胸に、オレはされるまま顔を埋める。男の熱と鼓動が、互いのシャツを通じて伝わった。


この男は、孤独に耐えかねて、オレをつくったのだろうか。
気の遠くなるような時間をかけて、ただ一人、愛した人間に似せた、生きた人形を。

「直江。オレはお前に……何をすればいい?」
顔を上げて、問いかけると、男は、少し驚いた表情を見せたが、すぐに優しい笑を浮かべて、囁くように云った。

「なにもしなくていいんですよ」
男は、オレを抱く腕に力を込めて、
「あなたは、なにもしなくていい……ただ、側にいると約束してください。何処にも行かないで……私の側から、離れないで」


男の唇が降ってくる。
オレをそれを、眼を閉じて受け止める。

つくりものであっても、人間とまったく変わらぬこの体は、ひとと交わり、それに伴う羞恥や痛みや快楽までをも、味わうことができた。
こうしてオレは男を受け入れ―――二人だけの日々がはじまった。

その日に、必要なだけの食材を菜園から手に入れ、男が食事をつくるのを傍らで見守り、二人でそれを食べ、まだ文明が栄えていた頃の古い映画や音楽に耳を傾け、夜はいやというほど抱かれて、疲れ果てて男の腕のなかで眠る。

この土地特有のものなのか、ほぼ一日、深い霧が立ち込めるなか、午後の僅かな間だけ、柔らかな日の射す時間があって、オレはその時間がとても好きだった。


***


男と暮らし始めて数日が過ぎたある日。

寝室から繋がるウッドデッキに置かれたテーブルで、ランチを前に男と向き合っていると、眼下に広がる菜園のガラスドームのなかを、小さくて白いものが動くのが見えた。

「―――あれは……」
オレが突然、声を上げたので、驚いた男は、すぐに微笑んで、
「……ああ。あなたは、見るのははじめてでしたね」

耳が長く、紅い眼で、白くてふわふわした生物は、『うさぎ』と云う名前なのだと、男に教わった。

うさぎは、前触れなくひょっこりと現れては、菜園を荒らして森のなかへ去っていく。

「森のなかにも食べ物はあるでしょうに……困ったものですね」

そう云いながらも、おそらく、オレがいない頃は、唯一の訪問者である、あの小さな生物に、少なからず癒されていたのだろう、男はその小さな生物を追い払うでもなく、苦笑している。


オレとうさぎの追いかけっこは、それから毎日の日課になった。
うさぎはすばしっこい上に、逃げ足が速い。
後を追って森の入り口まで行きかける度、何処で見ていたのか、すぐに男が飛んできて、オレをきつく抱きしめ、行ってはいけないと繰り返し諭した。

「あれは野生ですからね。ひとには懐かないし、そう簡単に捕まえられるものではありませんよ。それより、うさぎと遊ぶのもいいですが、少しは私の相手もして下さいませんか?」

甘い囁きとともに、結局はオレ自身が男の腕に捕らえられてしまう。


毎日、キッチンに立つ男の手際を見ているうちに、見よう見真似で料理を覚えたオレは、ある日、(毎日のように、痛くて恥かしい行為を強いる男へのささやかな復讐を兼ねて)、シチューを盛りつけた男の皿に、数種類の野菜の、うさぎの歯型のついた部分だけを入れてやった。

「どうして私の皿の野菜にだけ、歯型がついているんです?」
「さあな。確率の問題だろ」
オレはとぼけたが、悪戯に気づいたのだろう、男は、心底楽しそうに笑った。


***


その日も、菜園のなかで戯れていたうさぎは、オレの姿を見るなり、逃げ出した。

「あっ、こら、待てよ」
オレはいつものように後を追った。
直江は発電機の様子を見に、地下に行っている―――チャンスだった。

禁じられてはいたものの、オレは密かに、外に出てみたいと思っていた。無論、男の元を出ていくつもりはなく、純粋に好奇心からだった。

うさぎを追って森に入り、視界が霞むほどの濃い霧を抜けた先に見たのは、小高い崖下に広がった、見渡す限りの廃墟だった。
まぎれもなく、かつて、そこが都市だったことを示すかのように、崩壊したビルや建物の残骸が、地の果てまで続いている。

最も、そうなってしまってから、すでに相当な時間が過っているらしく、コンクリートの残骸を覆いつくそうとするかのように無数の木々が生い茂って、不思議な静けさを醸し出していた。

こんな世界にたった一人で取り残されて、気の遠くなるような長い時間を生きてきただろう、男を思うと胸が苦しくなる。

(……直江)
オレの姿が見えなくて、今頃、心配しているに違いない。
戻ろう―――そう思ったとき、数メートル下の、崖に大きく突き出た木の上に、白いものが蹲っているのを見つけた。

あの、うさぎだ。
オレがこんなところまで追いかけてきたせいで、あんな場所まで逃げたはいいが、動けなくなってしまったのだろうか。

オレはそろそろと崖を降り、木の枝を伝って、うさぎに向かって、脅かさないよう、そっと腕を伸ばした。
あれほど逃げまわっていたそれは、驚いたことに、自分から勢いよく、胸のなかに飛び込んできた。

はじめて触れた、ふわふわと柔らかな感触にオレは微笑む。
こいつを連れて帰ったら、直江はきっと驚くだろうな―――そう思った時、足元が大きく崩れた。

「―――!」
捕まっていた木の枝ごと、空中に投げ出されたオレは、一瞬後に激しく全身を地面に打ちつけられて、そのまま意識を失った。


***

それから、どれだけの時間が経ったのだろう。
オレは、狂ったように名前を呼ぶ男の声で眼が覚めた。

「―――さん!高耶さん!」
オレの姿が見えないので、探しにきてくれたらしかった。
抱き起こされて、体のあちこちが激しく損傷していることにようやく気づく。

「……ごめん。オレ……」
素直に誤るオレを、男はきつく抱きしめて、もう二度と、ひとりで行ってしまわないでと、震える声で繰り返した。

オレは、腕のなかで動かなくなっている、うさぎを差し出した。
「オレの修理は後でいい。こいつを先に治してくれ。―――治るだろう?」

すると男は、いたわるような表情でオレを見つめてから、静かに首を振った。
「……それは、もう……治すことはできません。死んでいるんです」

オレは、腕のなかのうさぎを、まじまじと見つめた。

云われてみれば、ようやく腕に抱くことができた、うさぎの白い毛は、ところどころ赤く染まっていて、冷たく、固くなっていて……そして、ぴくりとも動かなかった。

オレの眼から、自然と涙が零れた。
「……オレ。こいつのこと……好きだったのに……」

小さな亡骸を連れ返り、庭の隅に埋める間、男は傍らでじっとその様子を見守った。
はじめて体験した「死」だった。



「……どうしてお前は……オレをつくったんだ?お前もいつか、オレを置いて逝ってしまうんだろう?」
「高耶さん……あなた……」

幾度となく肌を重ねるうちに、オレはこの男も、オレと同じつくりものの体なのだということに、とっくに気がついていた。

生あるものは、いつか壊れる。

その運命から逃れられないなら―――一人で残されるぐらいなら、感情などもたない人形でよかった。
そうすれば、お前を失う恐怖なんて、知らずに済んだのに。

「一人にしないと約束してくれよ。そうでなければ、オレはお前を許さない」

足元に跪いた男は、オレの体をかき抱くようにして、泣いた。


***


オレと男との二人だけの日々は、それから何年も続いた。
このまま、永遠に二人きり―――
一時はそんな風にも思われた日々が、やがて終わりを告げる時がきた。


ある時から、オレに接する男の態度がおかしくなった。
僅かな時間でも、オレの姿が見えないと、狂ったように探しまわり、オレを見つけると壊れたように抱いた。

男は、どうやら、自分の手で、オレをつくったことすら忘れかけているらしく、オレを本当の『仰木高耶』だと思いこんでいるらしかった。

それまで、オレより後に目覚めることなどなかったのに、オレがこっそりベッドを抜け出しても、気付かず眠っていることも多くなった。

ラボのコンピュータや資料を漁るうちに、『橘義明』のデータをみつけた。
男が、オレをつくった当時の、詳細なデータも残されていた。

これらすべてに眼を通し、間違いなくやれば……多少、時間はかかるだろうが、オレの手で男を取り戻すことができるだろう。


「……高耶さん……」
ベッドに横たわる男が、伸ばしてくる手に、かつての力はもうない。
眼を閉じた男の唇に口づけ、オレは微笑む。

お前が壊れていてよかった。
そうでなければ、オレを置いていくことで、自分が残される以上の苦しみを、お前は味わわなければならなかっただろう。

心配しなくていい。
「―――直江。側にいるから、少し、寝ろ。たまには、ひとのいうこと聞けよ」
微笑む男の目尻から、涙が零れる。オレは、その涙を唇で拭った。

大丈夫―――すぐに会える。

オレのすべてを奪い尽くす、お前の力強い腕を、その鳶色の双眸を。オレがこの手で取り戻すから―――

だから、さよならは云わない。


end.

初出 2006年5月4日






日溜まりの詩 mira vervion について
これは、乙一の『ZOO』という短編集のなかの、「日溜まりの詩」と言う作品にグッときてしまって、つい書いてしまったものです(^-^;
この話は、別に(ミラの)原作後という設定なわけではありません(^-^;念の為(笑;;
この高耶さんも、本当は高耶さんではなくて、高耶さんもどき(死刑;)だし、アップは迷ったんですけど;;……高耶さんの一人称、久しぶりだし、たまにはいいかなと……(小声;;

私は直江は、高耶さんを守ってこそ直江だと思うので、たとえ一瞬でも、高耶さんが一人で残されるという設定はアレなんですが;;でも、すぐ会えると高耶さんも云ってるし、大丈夫です(殴
切ないのは苦手。切ないから(コラ;……どうせ私は最弱さ(>_<) >馬鹿

そういえば、犬はわんころ、猫はにゃんこな高耶さんですが、うさぎは何て呼ぶんでしょうね。
うさ、とか、ウサ公とか?(笑)