心霊探偵八雲 mira vervion 4






木下は、大量の本や資料に埋め尽され、すでに用を為さなくなっている診察室のデスクで頭を抱えていた。

事件以降、集団登校や、親に付添われて登下校する子供が増え、必要な体を用意することが困難になっているが、それは木下にとっては、それほど対した問題ではなかった。

ほとぼりがさめれば、また、一人で通学する子供が現れる。

だが、問題は―――木下は、デスクの上に置かれた、二人の少女のカルテに改めて見入った。
二人とも、かつてこの病院で、木下が取り上げた少女達だった。


松本美穂―――娘と年齢が近く、背格好も面立ちも似ていた最初の少女には、木下の願いも虚しく、娘が転生することはなかった。

この失敗を、医師である木下は、娘との血液型の相違が原因と考えた。

そして、二人目には、多少、年上だが、娘と同じ血液型の橋本留美を選んだ。今度こそ上手くいくと信じて。
だが、やはり結果は変わらず、木下の元に娘が戻ることはなかった。


娘の転生が上手くいかない原因は何なのか。

その上―――あの安田という刑事の口ぶりは、どうやら自分を疑っているように思えた。

娘の魂が、まだあの場所にいると知り、興奮のあまり、仰木高耶の肩を掴んでしまったのも失敗だ。

だが……娘の魂が、まだこの世にあるとはっきりわかったからには、なんとしても、えりかをこの手に取り戻さなければならない。
それができるのは、父親である自分だけだ。

「えりか……」 
木下は涙を零しながら、デスクから取り出した、最愛の一人娘の写真を慈しむように何度も撫でた。

(大丈夫だからな。必ず、お父さんが助けてやる)


おそらく自分はまだ、何か大きなミスをしているに違いない。
だから、娘は泣いているのだ。

あの、高耶という青年は、娘が行きたいところに行けずに苦しんでいると言っていたけれど、それは嘘に決まっている。
自分が、やり方を間違い、あの子は私の元に戻りたくても戻れずにいるから、今もあの場所で苦しんでいるに違いない。

どうすればいい?どうすれば、娘の魂と適合する体を手に入れられる?―――と、ここに来て、木下はようやく思い至った。


―――仰木高耶。
彼の左眼は、ただ赤いだけではなく、魂と対話ができると言っていたではないか。
そうした能力を持つ者の体なら、転生は容易なのではないか?

できれば、娘の為にも、年恰好のよく似た少女の肉体が好ましいのは無論だが……彼の体に、一時的にでも、さまよう娘の魂を移し、その後、えりか自身が、彼の持つあの左眼を通して、転生しやすい少女の体をじっくりと選べばいいのではないか。

娘を取り戻すという狂気にとりつかれ、すでに正気を失いかけている今の木下には、これこそが捜し求めていた、すべての答えのように思えた。

彼は、確か、××大学に通っているようなことを言っていた。

子供と違い、しかも刑事と共に行動している仰木高耶を攫うのはやっかいだが、大学の近くで待ち伏せていれば、必ず、チャンスがあるだろう。

(えりか……まっていろ。もうすぐだからな)
木下の顔に、娘を亡くして以来、はじめて笑顔が浮かんだ。


***


木下医院に隣接するワンルームの、カーテンの隙間から覗かせた望遠鏡で、じっと様子を見張っていた千秋は、溜息をついた。
診療をやめた木下医院には、時折、宅配業者が出入りするものの、木下はずっと院内に篭ったまま、おもだった動きを見せていない。

しかし、裏で配送業者をこっそり捕まえ、その都度、配達物の内容を確認すると、それらはすべて、全国の書店から取り寄せられた、輪廻転生に関する書物だということが判明した。

高耶も指摘していたが、普通の医者なら、到底、読むとは思えない代物ばかりだ。

(輪廻転生、か……まさか、本気で死んだ娘を取り戻すために、他の子供に手をかけてた、なんてこと、ねーよなあ)


千秋は再び、溜息をつく。
実は、それこそが、高耶も最初から危惧していた、今回の事件の真相そのものなのだが……。

「……っと!」
身を乗り出した千秋は、手にした望遠鏡を改めて覗き込んだ。

まもなく日が暮れるというのに、身支度を整えた木下が、久しぶりに姿を覗かせた。帽子を目深に被り、どことなく、周囲を気にしているように見えるのは、気のせいだろうか。

千秋は木下に眼を向けたまま、携帯を取りあげ、医院からほど近い駐車場で待機している、門脇綾子を呼び出した。
木下に面が割れている千秋より、綾子の方が尾行に気づかれる心配がない。

「晴家か?木下が動いた。車で何処かに出かけようとしている。後をつけてくれ」
『―――了解』


***


黒の細身のバイクスーツに身を固めた門脇綾子は、ウエーブのかかったロングヘアをヘルメットに収めると、愛車のバイクにまたがった。

本庁内で、嫌でも眼にするキャリア同士の派閥や出世争いに、正直、うんざりさせられていた彼女は、尊敬する色部警視がこの部署の創設を提唱した際、自ら熱烈に志願して配属されてきた。

かつて恋人を亡くすという、悲しい過去を持つ彼女だが、そんな素振りを欠片も見せず、陽気で明るく(その上、酒も底無しで)この部署の、ムードメーカー的な存在になっている。

皮肉屋の千秋とは、正直、そりが合わず、くだらない口喧嘩が絶えないものの、千秋を含め、監察医の直江と、仰木高耶という不思議な眼を持つ青年との、四人のチームは完璧だったし、この部署での仕事に、彼女は強いやりがいを感じていた。

(……それにしても、いったい、何処に行くつもりなのかしら)

木下の運転するワンボックスカーの後を、尾行がばれないよう、つかず離れずの距離を保ってバイクを飛ばしながら、彼女は思った。


走り初めて四十分。
JRと私鉄が交差する、六車線の、大きな踏切に差しかかった時、後続の綾子のバイクは、運悪く遮断機に引っかかってしまった。

(―――ちっ、ついてない)
何台もの電車が交互に通過する数分間に、ワンボックスカーはどんどん遠ざかっていく。

ようやく、遮断機が上がり、綾子はすぐに後を追ったが、次の十字路に差し掛かったところで遂に車影を見失ってしまった。

綾子は路肩にバイクを止め、すぐに千秋に連絡を入れる。
「あたしよ。ごめんなさい、踏切に引っかかって、木下を見失った。でも、まだ、近くにいるはずだから、このまま、後を追うわ」

千秋の返答は素早かった。
『―――わかった。木下の車種とナンバーはわかってるから、本人にバレないよう、覆面を配備させる。発見次第、すぐに連絡する』
「了解」


***


レポート作成の為、学内の図書館で資料を漁っていた高耶が、大学の裏門を抜け、バイクを停めている駐輪場へと歩き出した時、シャツのポケットに突っ込んでいた携帯が鳴った。
直江からだ。

『……もしもし、高耶さん?今、大丈夫ですか?』

まるで計ったようなタイミングでの、男からの電話に、高耶は笑って、
「ああ。ちょうど、今、門出たとこ……お前こそ、こんな時間にめずらしいじゃん」
『声が聞きたくなったんです』

どこまでもストレートな男の物言いに、高耶は照れたように苦笑しながら、
「今日は遅いのか?」
『いえ、八時過ぎには戻れそうです』
「そっか。なら、晩メシ、家で食うだろ?何がいい?」
『嬉しいですね。あなたがつくって下さるなら、何でも……』
「そういうの、いちばん困るんだよな」

まるで新婚夫婦のような会話をしながら、駐輪場に向かう高耶の背後に、おもむろに、一台のワンボックスカーが近づいていく。

不意にスピードを上げて、行く手を遮るように、駐輪場の壁と道路を塞ぐように停車した車内から、帽子を目深に被った男が飛び出して、突然、高耶に襲いかかった。


「―――!」
身の危険を感じた高耶が、襲いかかる男の腕を払おうとした時、男が被っていた帽子が落ちた。
憔悴し、窪んだ眼窩の奥に、ぎらぎらと異様に光る眼―――
「―――……!」
木下は、あっけに取られている高耶を駐輪場の壁に力づくで押しつけ、鼻と口を強引にハンカチで塞ぎにかかった。

眩暈を伴う強い異臭―――
それが、クロロホルムだと理解した時には、すでに高耶は大量に気化した薬剤を吸い込んでしまっていた。

たちまち、ぐらりと目の前が歪み、立っていられなくなった高耶の口元に、尚もきつくハンカチが押し当てられる。

「ンン……!」
(―――なお……、)
男の名を呼ぶが、声にはならない。
きつく握り締めていた手から、点滅している携帯が、音を立てて滑り落ちた。


突然、会話が途切れると同時に、もみあうような声と、ガシャンという、派手な音がして、嫌でも高耶の異変を悟った男が、電話口で必死に高耶の名を叫ぶ。

『―――高耶さん?高耶さん!!どうしました!返事をして……高耶さん!!』

木下が、意識を失くした高耶の上体を引き摺って、強引に車に押し込もうとしている時、一台のバイクが猛スピードでこちらに近づいてくるのが眼に入った。

フルフェイスのヘルメットを被っているが、体型でわかる。
女だ。


高耶を強引に後部シートに押し込んだ木下は、大急ぎで運転席に滑り込み、車を急発進させた。
「―――警察よ!止まりなさい!その子をどうするつもりなの?!」
女が運転席に向かって大声で叫ぶが、木下は動じない。

「邪魔をするな!」
木下は、叫びながら、追走するバイクに向けて、思いきりハンドルを切った。

「―――!」
派手な音を立てて、あおられ、転倒したバイクが電柱を直撃するのをバックミラーで確認し、木下は猛スピードでその場を離れた。

道路に投げ出され、全身を強打した綾子は、半ば朦朧としながらも、携帯を取り上げ、千秋のナンバーをコールした。

「長秀聞こえる?……大変よ、あの子が……高耶が木下に襲われたわ……緊急配備を……」
『なんだって?!おい、晴家……!』

事故を聞きつけ、駆け寄ってくる通行人の足音―――それきり、綾子は意識を失った。


***


直江と綾子の両方から、高耶の身に何かあったことを知らされた千秋は、潜んでいた、木下医院の向かいのマンションを飛び出して、令状もないまま、医院の通用口の鍵を壊し、強引に内部に押し入った。

前回は招かれなかった診察室に足を踏み入れるなり、千秋は絶句する。
「―――なんだこりゃ……!」

床を埋め尽くすほどに積み上げられた、転生に関する本や資料、壁全面には、インターネットで調べたと思しき、生まれかわりについての記事の数々。

木下自身が書いたと思われる、肉体、魂、転生への絵図―――娘を失くしたとはいえ、ここまでやるのは、どう考えても常軌を逸している。

その時、バタバタと足音がして、駆け付けて来たのだろう、直江が現れた。

「直江!」
直江は、さすがに、異様な室内に一瞬、絶句したものの、すぐに山のような資料に埋もれるように、デスクに置き放されたカルテに気づき、一目見るなり、彼らしくもなく、クソッと口走って、両手で机を叩きつけた。
「―――長秀、これを見ろ」


『松本美穂―――不適合。血液型の相違が原因か。廃棄処分』
『橋本留美―――不適合。原因不明―――廃棄処分』

そして―――それら二枚と重ねるように置かれていた、少し、色あせた、仰木高耶と書かれたカルテ。


それを一目見るなり、千秋は眼を剥いて、
「なんてこった……これは連続児童誘拐事件の、他の被害者のカルテじゃないか……!」

高耶もそうだが、他の二人の少女も、この病院で木下が取り上げていたのだ。

直江は込み上げる怒りを隠しもせずに、
「やっぱり、あのひとが言った通り、もう一人の犯人は木下だったんだ。おそらく木下は、あのひとの体を使って、娘を生き返らせようとしている。急がなければ、あのひとが危ない」

千秋は驚きに眼を剥く。
「なんだってえ?!」
だとすれば、高耶を連れた木下の向かう先は、一つしかない。

―――娘の、遺体発見現場だ。




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