妖僕ミラバージョン One year after
intoduction





2008年4月の、とある深夜。

愛車を自宅のある都心へと走らせながら、闇色のスーツを纏った男―――直江は、助手席のシートに細い体を沈め、瞑目しているそのひとを、気遣わしげに見遣った。

仮初の肉体に魂を封じられ、四百年の長い時を生き続けてきた男の主は、『高耶』と言う。

かつては夜叉と恐れられ、ひとの気を啜る魔であったと言う彼の、端正な横顔には、一見、何の変化もないように見えるが、従者として、常に傍らに影のように寄り添い、高耶だけを見ている男には、主の気が弱っているのが明白に見て取れた。

「……大丈夫ですか?」
そっと声をかけると、高耶はうっそりと切れ長の眼を開け、こちらを見た。
「―――誰に向かって口を利いている。この程度の浄霊で、オレがどうにかなるとでも思うのか」

誰よりも気高く、倣岸で、不遜ないらえに、男は、苦笑する。
高耶が、その細い体に無尽蔵の力を秘めていることは紛れもない事実だったが、この日の浄霊は、想像を絶する凄まじいものだった。

同行したあの千秋でさえ、一時は音を上げかけたほど、無数の怨霊とまともに対峙した後なのだから、力を使い果たしても無理はない―――それを言ったところで、このひとは、決して認めはしないだろうが。

「………あなたの気が弱っている」
ハンドルを握りながら、下僕らしからぬ、有無を言わせぬ口調で男は言った。
「戻ったら、すぐにあなたを抱きます」

高耶の、冴え冴えとした表情に、たちまち朱が差す。
「―――馬鹿を言え。オレの気が弱っているなら、お前のその顔はなんだ?鏡を見てみろ。まるで死人のようだぞ」

確かに、つくりものの体の高耶よりも、生身の直江の方が、怨霊との死闘の後では、誰の眼にも、男の方が衰弱して見えるのは明かなのだが、無論、それでこの男が引き下がるはずもなかった。

「隠したって無駄ですよ。この一年、ずっとあなたを見て来たけれど、今日ほど弱ったあなたは見たことがない。あれだけの調伏の後ですからね―――あなたは、いま、とても飢えている。食らい尽くしていいんですよ、この男を。私はその為に、あなたの側にあるのですから」

主従契約を交わした当初は、この男も、確かに従順な下僕だったはずなのに―――高耶は顔を赤らめ、嘆息してそっぽを向いた。

自らを『あなたの犬』だと言い放ち、高耶への執着を隠さないこの男は、一度、暴走をはじめたが最後、いまや主の高耶ですら、手におえなくなっている。
甘やかしたつもりはないのだが、いったい、どこで躾を間違えたのか。

男の発する己への気を感じ取って、言い争いは無駄だと観念したのだろう、高耶は、不貞腐れた表情で、一方的に会話を打ち切ると目を瞑った。

「……勝手にしろ。着いたら起こせ。オレは寝る」
子供のように、ふて寝をするそのひとから、許しを得たことを悟った男は、恭しく微笑んだ。
「御意」



高耶の休息を妨げないよう、静かに車を走らせながら、直江は今宵の浄霊を思い返し、苦い表情を浮かべた。
術者となるべく、本格的な修行をはじめて一年。

寺に生まれ、得度もした身とはいえ、昨年、高耶に会うまでの二十八年間、ごく普通の暮らしをしてきたのだから、その能力に差があるのは仕方のないことなのだが―――それでも、この日、怨霊に向かう高耶と千秋を目の当たりにして、改めて、彼らと自分との、圧倒的な力の差を、まざまざと見せつけられた気がした。

焦ってどうなるものでもないことは、充分、わかっているのだが、己の未熟さが腹立たしく、無意識のうちに、男のハンドルを握る手に力がこもる。
(一日も早く、千秋を凌ぐ術者となって、このひとを守れるようにならなければならない)

やがて、高速を降り、深夜の住宅街を抜けた男のウインダムは、とある高層マンションの地下駐車場へと音もなく滑り込んだ。

都心の一等地でありながら、閑静な住宅地に建つ、高層マンションの最上階―――そこに、彼らが暮らす部屋がある。

「……着きましたよ。高耶さん。お疲れさまでした」
ねぎらうように声をかけ、運転席を下り、助手席側にまわった直江が恭しくドアを開けると、高耶は気だるげに身を起こして、のっそりと車を降りた。
そのまま、肩を並べるようにして、自室へ直通の専用エレベータへと向かう。

エレベータの扉が閉まるなり、上昇をはじめた狭い密室の中、直江は従者らしからぬ、有無を言わせぬ力で、己の主を抱き寄せると、形のいい唇に唇を重ねた。

「……よ、せ……おまえの気も、弱って……」
細い体を逃れられないよう抑えつけ、ジーンズに容赦なくその手を滑らせながら、男は言う。
「言ったでしょう、高耶さん。戻ったら、すぐにあなたを抱くと」
男は、抗う高耶に、己のありったけの気を送り込もうとするかのように、執拗に口づけた。
「ンン……ッ、」
男の気が、重ねられた唇を通じて、細い体へと流れ込んでいく。
甘い気を唇越しに注がれて、魔としての本能を刺激され、一瞬、ひるんだ高耶を、男は、さらなる淫らな地獄へ堕としめようとするかのように、低く囁いた。

「我慢しないで……私は、あなたのものだ」
「なおっ……、」
この男を体内に受け入れ、その気を食らいつくしたい―――抗いがたい誘惑に、抵抗が緩んだ隙に、背後へと回された長い指が、馴らしもしないまま、すかさずきつい蕾へと潜り込んできて、たまらず高耶は男のスーツの背に爪を立て、声を殺した。

「クッ……」
男の指が、体温を持たない襞を執拗にまさぐる。強引な指は、すぐに二本まで増やされた。ここまで許してしまっては、もはやどうすることもできない。
高耶は潤んだ眼で、きつく男を睨みつける。

「ニ、三日、動けなくなるぐらい……おまえの気を……吸いつくしてやるからな……」
その、憎まれ口ですら、いとおしい。
男は、いまいましいほど、幸福な口調で囁いた。
「望むところですよ」


エレベータが最上階の、彼らの部屋に到着した。
ドアが開くなり、広大なスイートルームのガラス張りの窓から、遠く新宿の摩天楼が、まるでパノラマのように視界に飛び込んでくる。

だが、その見事な夜景にはわき目もふらず、直江は、腕の中に捕えた己の主を逃さぬよう、ベッドに半ば押し倒すようにして、その上に乗り上げた。

細い体から衣服を剥ぎ取り、自らも荒荒しくスーツを脱ぎ捨て、覆い被った男が、ぴたりと肌を重ねてくる。
生身の直江に対し、つくりものの高耶の体は、冷ややかで、体温もなく、その胸からは心臓の鼓動すら聞こえてはこない。

痛みも熱も感じないはずの、その仮初の肉体に、禁断の快楽を教え込んだのは、誰でもなく、高耶が自ら、下僕に選んだこの男だった。

たくましい体躯に組み敷かれ、怒ったような、観念したような黒い瞳が男を見上げる。
いつになく早急に、細い両足を抱え上げ、強引に割り開き、押し当てた肉塊を、一気に根元まで埋めると、仰のいた高耶の唇から、堪え切れない声が漏れた。

苦痛も快楽も、何も感じない人形のような体のはずなのに―――身を裂く男の肉塊は、火傷しそうなほどに熱く、こうして、男と結合する度、繋がったそこから、どろどろと溶けていってしまいそうな感覚を高耶に与える。

「クッ……」
触れるほど間近で、高耶の端正な顔が甘い痛みに歪む。
その、切れるほどに噛み締めた紅い唇から、己を欲する、淫らな言葉を吐き出させたくて、男は抉るように腰を使った。

「アアッ……、」
高耶の瞳が、魔の本能と、ひととしての理性の間で揺れている。
生ける人型だった体に、ましてや、己の下僕の手で、激しい肉の快楽を覚えさせられ、少しづつ、人間に近づきつつある体に、内心、高耶が怯え、戸惑っているのが、男には、手に取るようにわかった。

「―――こわいですか?」
動きを止めた男の、何処か楽しげな色を含んだ問いかけに、反射的に、「誰が、」と言い返しかけた時、より深いところまで熱い凶器で貫かれて、高耶はひいっと悲鳴を上げた。
耳朶を掠める切ない悲鳴に、男は、鳶色の眼を細める。
細い顎を捕えてこちらを向かせると、恨めし気な、熱に浮かされたような瞳が、男を見た。

「おまえ、……なんかっ……」
「私がなんです?」
主を主とも思わないような、挑戦的な言葉で、男はいとしいそのひとを煽る。
「こんな……っ、」
「私を、奴隷にしたのは、あなただ。高耶さん……あなたが、私を選んだんですよ―――」

直江は、熱っぽい声で、諭すように言う。
「今更、私を遠ざけようとしたって駄目ですよ。高耶さん……なにがあろうと……私は、あなたから離れはしない」

狂おしい囁きとともに、打ち込まれた肉塊がギリギリまで引き抜かれ、次の瞬間、灼熱の肉の刃が最奥まで押し入ってきて、高耶はヒッと背を反らせた。

「クッ―――ア……!」
無意識に逃れようとずりあがる腰を引き寄せ、男はより深くひとつになろうと、埋め込んだ肉塊できつい襞を貪る。激しすぎる抜き差しに、快楽よりも苦痛が勝って、高耶の噛み締めた唇から、堪え切れない声が零れた。

「なおっ……」
己の名を呼ぶ、そのひとの声に、肉塊を根元まで沈めた男の腰にゾクリとするような震えが走る。

私のものだ。あなたは、私だけのものだ―――細い肩口に顔を埋めた男の唇は、熱病に浮かされた患者のように、それだけを呟いていた。

「高耶さん……!」
気狂いじみた執着と歓喜の中で、男はきつい襞の最奥に、己のすべてを吐き出す。

熱く迸る体液の、最後の一滴すらをも注ぎ込み、左右に大きく両脚を割らせたまま、男が、徐に萎えたものを引き摺り出すと、高耶の唇から声にならないうめきが漏れた。

含むものを失って、切なく震える蕾から、己の放った白濁が糸を引いて溢れる様は、たったいま、放ったばかりだというのに、すぐにもこの体と繋がりたいほど、男の背筋をゾクッとさせた。

「……せっかく飲ませてあげたのに、こんなに零して……はしたないひとだ」
そう、囁きながら、ビクビクと震える蕾に顔を寄せ、尖らせた舌先で掠めるように舐めとってやる。

「やっ……ク、」
嫌がる腰を、甘く叱咤しながら抑えつけ、濡れたくぼみを舌先で拭ってやり、名残を惜しみながらもようやく抱えていた両脚を自由にしてやると、高耶は真赤になった顔を背けるようにして、シーツで身を覆うなり、くるりと背を向けてしまった。

「……高耶さん」
いとしいひとの、子供のようなその仕草に、男は目許を細め、改めて背を向けた細い体からシーツを剥ぎとって、己へと引き寄せる。

「放せ」
「いやです」
そのまま、細い背に顔を埋め、背後からぴたりと肌を重ねるようにして、きつく抱きしめていると、素っ気無い口調とは裏腹に、高耶は素直に男の腕のなかに収まって、じっとしていた。

白濁とともに注ぎ込まれた男の気は、甘く、激しく、眼を閉じていると、体の奥から溶かされてしまいそうだ。

(あつい―――……)
無意識に、そう、呟いてしまったらしく、聞き取れなかったのか、男が、背後から何事かと問いかけてきたので、高耶は、首を振り、赤くなった顔を見られまいと、こちらも見ずに言った。

「……なんでもない、もう寝る」
お前も休め―――そう、呟いた主の背に、男は、あなたの顔を見ながら眠りたいと言った。……駄目ですか?と言う声の、ことのほか真摯な響きに、高耶は呆れたような、観念したような表情で、渋々体を起こす。

これみよがしに差し出された腕に、高耶が不貞腐れたようにどかっと頭を乗せると、男は、心底嬉しそうに、ありがとうございますと微笑んだ。

せめてもの照れ隠しからか、「このまま、朝までじっとしていろ。起こしたら承知しねーぞ」と憎まれ口を叩く彼に、男は恭しく頷く。
「……仰せのままに」
さらりとした前髪に口づけながら、男は囁いた。
「おやすみなさい、高耶さん」

目が覚めたら、たっぷりと続きをしてさしあげますよ。




end.